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【32周年】7月15日はファミコンの日!【個人的岩田社長追悼】

1日遅れてしまいましたが、32年前の1983年7月15日
記念すべき、任天堂の初代ファミコンが発売された日です。
家庭用ビデオゲームの歴史を大きく変えた、偉大なるハードとして
今も、赤と白を基調としたファミコンファンは多く居ます。

famicon

海外では、アタリ社が家庭用ゲームハードを一足早くリリースして
家庭用ゲーム業界市場を作り上げていましたが、俗にアタリショックと呼ばれる
事象を引き起こし(アタリ社一社だけの問題では無いという論もあり、未だはっきりとした大本の原因は突き詰められていないところがありますが)家庭用ゲーム市場は冷え込んでしまったのです。


任天堂のファミリーコンピュータは、国内市場だけではなく
海外のアタリショックで冷え込んだ海外ゲーム市場をも復活させ
それが、今でも続くゲーム業界の存続につながっているのです。


家庭用ゲーム業界については、今は市場は縮小しているとはいえ
スマホでのゲームも大量に出ている昨今、ゲームという娯楽はまだまだ根強い人気があり
大衆の一般娯楽として広く支持されていることは誰も異論を挟まないことでしょう。


奇しくも、任天堂の岩田社長が11日に亡くなっていますが
今回は、そんな岩田社長への追悼という意味も兼ねて
ファミコンのことをだらだらと綴ってみるとします。

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管理人が2番めに触れたゲーム体験

私は現在、34歳という年齢でちょうどバリバリのファミコン世代に当たります。
初めてファミコンをやったのは、忘れもしない4歳の頃。
初めて買ってやったゲームは、ナムコのアーケードの移植ゲームで「ディグダグ」でした。



ちなみに、ファミコンが家庭用ゲーム機の馴れ初めかと思いきや
実はその前に、少しゲームウォッチに触れていたことがあるので
家庭用のゲーム機としては、管理人は2番めに触れたことになります。


ディグダグは、地底に潜ってファイガーとプーカという二種類の敵を
ポンプを突き刺してふくらませて破裂させるか、岩を落として
潰すという方法で、倒していくゲームです(言葉で説明すると残酷ですな)


歩くと音楽が鳴るという、今見ても変わった仕掛けが施されたゲームで
ただひたすら、敵を破裂させて遊んだものです。


2番めに買ったのが、F-1レース。
非常にシンプルなゲームでしたが、当時はバカのように遊びました。
3番めは、レッキングクルー。そして4番目がテニス。
最初がサードソフトで、その後はずっと任天堂製ソフトで遊んでいたんですね。


特にテニスは二人協力プレイが出来たので、兄と良く遊んでました。
今プレイしても、レベル5の最強難易度を撃破することは出来ます。
そういえば、審判がマリオのゲームでしたね。これ。

※非常にシンプルな作りながら、基本はがっちり抑えてあるテニス。
任天堂製スポーツゲームのタイトル音楽は、他のゲームでも流用されてました。(サッカーは例外)


そして、忘れもしないのがスーパーマリオブラザーズとドラゴンクエスト。
この2つのゲームは色々と、ドラマが起こりました。
スーパーマリオは今年、生誕30周年ですね。



全国のファミコン少年がそうであったように、友達の家に行くと
しばしばコントローラーの取り合いなどが発生しました。
シンプルでも、そこには大冒険があった。まさにゲームの金字塔。


ドラゴンクエストは1から愚直にやり、ストーリーなどは良く理解できないながらも
竜王を倒すためにひたすら、アレフガルドの世界を歩いていました。
今から見れば、マップは貧弱なのですが、当時の自分には有り余る世界でした。

dq1

今の大容量のゲームから見れば、1メガにも満たない容量に
これだけの世界を詰め込んだ。当時のゲーム少年からすれば
未だにDQ1は超大作という認識ではないかと思います。


ドラクエシリーズは、2の復活のじゅもんが長すぎて(52文字)写しミスが続発したり
3は、ぼうけんのしょの消え易さに泣かされたりしましたが、いずれも頑張ってクリアしました。
今でも当時、はまっていたことは覚えており、自分のゲーム人生の中で色褪せない思いでです。


あとは、前述の通り兄が居たので、色々と兄弟で協力プレイが出来るものや
対戦プレイが出来るゲームにハマリました。


対戦プレイが出来るゲームでは、プロ野球ファミリースタジアム。
これは、兄弟げんかをするぐらいやりました。
兄がFチーム(当時のロッテオリオンズ)で、自分がTチーム(タイガース)使ってました。


1986年のデータですと、ロッテにおちあいが居て
タイガースには伝説のバース、おかだ、かけふといった選手が居ました。
ジャイアンツにはえがわが居たり、西武にくどうやひがしおなんてのも居ました。
往年の野球ファンには分かってもらえるかと思いますw


TチームもFチームも、当時のデータでは強チームであり
チーム力は五分五分なのですが、対戦すると1P側だけスタートボタンがついているので
1P側がタイムをかける生殺与奪を握れるというのが大きかったですねw


代打やピッチャー交代をしたくても、1P側がタイムをかけさせないという
鬼畜プレイで、兄弟げんかが勃発しておりました。
下手したらソフトにも被害が及んでいたので、まぁ壮絶ではありましたw


逆に協力プレイという意味では、前述のテニスもそうでしたが
一番ハマったのはナムコのバトルシティです。(ファミスタと言いナムコ率が高いな)



元々、アーケードで稼働していたタンクバタリアンというゲームの
リメイク作品でしたが、これは本当に協力プレイが熱い!
面エディットも出来て、面数は実質無限大のようなものです。


画面の下中央部に位置する、ワシのような形をしたモチーフは
司令部と呼ばれており、ここに敵の弾であろうと相手の弾であろうと
あたって破壊されれば一発でゲームオーバーというのが印象的でした。


WiiのVCで配信されており、先日懐かしさの余り
WiiU版を落としたのは内緒の話←


90年代に入ってからは、SFCが幅を利かせてきたので
私のファミコン体験は、主に80年代の古めのゲームが多いのですが
今挙げた他にも、人生劇場シリーズ、バグってハニー、スターソルジャー
ファイナルファンタジーシリーズ、ロックマンシリーズ、オホーツクに消ゆなど
ハマったソフトは枚挙に暇がありません。


今のゲームをやっている人には、ファミコンなどはショボいイメージしか無いでしょうが
限られた容量の中、極限まで入れる要素を厳選し不要なものは削ぎ落とされて
作られているファミコンゲームに向けられた情熱は、もしかすると今のゲーム以上のものがあるかもしれません。


生誕32周年でありながら、私も含めまだまだ語れる人が多くいるファミリーコンピュータ。
次は、35周年の節目でもまた我々の思い出話のネタとしていつまでもゲーム少年の
根っことして、今後も存在し続けてほしいものです。


おまけ
生誕32周年にあたり、ファミコンの思い出(主にゲーム屋さん)を
まとめた記事も上がっています。これらの体験談には共感できる話が多いですね。
他のゲーム少年だった人たちもそうであったのではないかと、個人的に思う次第です。


7月15日は、ファミコン発売の日…というわけで、あの頃の「ゲーム屋さん」の思い出を聞いてみた


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