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【凄すぎ】生前の岩田社長について縁の人達の対談会が非常に濃い!

今年の7月に、55歳という若さで胆管がんを原因に
世界に惜しまれつつ亡くなった、任天堂の元社長である故・岩田聡氏。


iwata


任天堂好きの当ブログの管理人も、突然の訃報に大変ショックを受けまして
追悼の記事を書き、個人的には2015年のニュースで最も大きな衝撃を受けたニュースでした。


亡くなった当時は、ツイッターでThankYouIwataのハッシュタグで
世界中の人から追悼のメッセージが溢れかえったり、様々なメディアで
岩田氏の余りにも早すぎる死を惜しむ声が相次ぎました。


今年も後残り2日間となり、2016年にいよいよなりますが
その年の瀬の時期に、ネットでの総合ゲーム情報サイトである
4gamerが岩田氏の追悼企画として、岩田氏に縁ある人物を集めての
対談会を行って記事にしています。


岩田氏の超絶エピソードも多数語られた、あまりにも濃すぎる対談会です。

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下地に去年行った、ドワンゴの川上量生氏の企画

今回、4gamerの追悼企画が行われた下地には、元々4gamer上で
連載されていた企画・ドワンゴの川上量生氏とゲーム業界に縁のある著名人との対談企画
ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」というコンテンツがありました。


2011年に企画が始まり、全20回を3年以上かけて連載していたものですが
この企画の最後の対談相手が、岩田社長ということだったんですね。

任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」


これから経営者を目指す人はもちろんのこと、啓発として
一般社会人が読んでも十分読み応えのあるロングインタビューで
当時、感心しきりで読んでいた記憶があります。


この対談が行われたのは、ちょうど一年前の話であり
岩田氏が早逝するのは、その後半年ほど経ってからの話ということになります。


今回の追悼企画では、川上氏をはじめ、岩田社長が任天堂の
社長の前に社長を務めていた、HAL研究所時代の直属の部下だった人物や
まだ岩田氏が「天才プログラマー」として周知される前に
一緒に仕事をした人物などが対談に登場しています。

天才という言葉すらも陳腐に思えるほどの才能

2015年、岩田氏が亡くなった年末に行われた対談会は
既に連載を終了している、先の「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」の
いわば、特別編の扱いとなっています。冒頭部分を抜き出します。

【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編

 4Gamerが任天堂取締役社長(当時)岩田 聡氏と,カドカワ(当時はKADOKAWA・DWANGO)川上量生氏の対談を掲載したのは,ちょうど一年前の12月末のことだった。

 連載の最後を飾るにふさわしいラスボス的なゲーマーは,岩田氏以外ないというお願いを快諾していただき実現した対談では,岩田氏自身の経営哲学からプログラマー時代の豪腕ぶりがうかがえるエピソードまでが本人の言葉で語られ,大きな反響を呼んだ。

 あれから一年。読者の多くが知るように,岩田氏はもうこの世にいない。胆管腫瘍という極めて治療の難しい病気に侵されていたという岩田氏は,今にして思えば,いったんの闘病生活を終えた後の,極めて貴重な時間を割いて,我々に多くの知見を残してくれていたのだ。

 訃報からしばらく経ったある日,川上氏から,「ぜひ,お願いしたいことがある」という連絡を受けた。(株式会社)ポケモン(※)代表取締役社長の石原恒和氏から聞いた岩田氏のエピソードがとても興味深かったそうで,曰く「きちんと取材をして,記事として世に残してほしい」と言うのである。

 岩田氏との対談をもって連載を終了している「ゲーマーは経営者を目指すべき!」だが,今回は岩田社長への追悼も込めた番外編として復活させてみたい。

 岩田氏との思い出を語って頂くのは,氏との親交の深かった石原氏を筆頭に,「岩田氏をよく知る人物」として石原氏の呼びかけで集まってくれた,ハル研究所の三津原 敏氏,クリーチャーズの田中宏和氏の両名。そこに川上氏と筆者を加えた,5名の座談会形式で取材を行ってみた。
 ゲーム業界の黎明期に飛び込んできた若き“天才プログラマー”岩田 聡氏の,いまだ語られざるエピソードや貴重な証言をお届けしたい。


ロングインタビューになっているので、いちいち全てを抜き出していくと
大変なことになるので、本文はリンク先で読んでください。


読み終わって感じたのは、とにかく「凄い人」だったんだなと言う印象。
我ながら陳腐な言葉しか出てきませんが、本当にそうとしか思えない。
この人は人間なのか!?と思わざるを得ないようなエピソードが多数出てきます。


世界のあらゆる事象をプログラマ的な視点で考え、最適解を探す…。
もはや、常人には理解できないような世界を見ていたんだなと
改めて思わされる素晴らしい対談となっています。


あえて、一つだけ印象に残った話を挙げるならば
病床に於いて、自身の病気について、医学書を読み漁り
医者とも、自分の病気について「最適解」を求めていたというのです。

【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編

石原氏:
 この話は表には出ていないですよね。実は,岩田さんはご自分の病気が何であるのか,告知を受けて正確に知っていたんです。
 そして,自分で最新の医学書とMacを病室に持ち込んで,自分の病状と今ある解決策を徹底的に学んだんです。それこそ医者より詳しくなるくらい,自分の病気に関して徹底的に研究していたんですね。
 そうして,私なんかが会いに行くと,「この病気で死ぬ確率と生き残る確率はそれぞれこれくらいあって,自分はこの線で行くのが最適解だと思う」と,いつもの問題解決を考えているときの調子で,楽しそうに話すんです。

川上氏:
 岩田さんの病気は相当に難しいものですよね。そのことをわかった上で……。

石原氏:
 ええ,全てわかった上で,まだこういう解決策があるはずだと,ベッドの上でいつもと同じように考え続けていたんです。
 最先端の治療を自分で試せないかと,様々なアイデアを主治医に相談したりもしていたそうです。私の知っている岩田 聡という人物は,そういうときに「人類の未来には,きっとこの病気は簡単に治るものになる。そのために今,自分は何をすればいいのか?」を考えていく人なんですね。彼は本当にエンジニアでしたから。

川上氏:
 ……。

石原氏:
 凄まじかったですよ。日々最新の医学書とネット情報を検索し,主治医をつかまえては議論するんです。岩田さんは自分自身の病気まで含めて,あらゆる「問題解決」について最後まで諦めませんでした。どこまでも前向きで,亡くなる直前まで解決策を考えていたんです。


もちろん、岩田氏が医学の知識があったなどという話は全くありません。
そんな畑違いの分野でも、エンジニアという視点で最適解を探し続けるのは
もはや、常人では不可能な領域だと思います。


対談を読み終えて思ったのは、岩田氏は「天才」という言葉も
陳腐に思えるほどの、才能溢れる不世出な人物であったということ。


幾ら自分が好きなことだったからとはいえ、対談ではとにかく仕事量が
半端ではなかったという事がしきりに言われており、心労も少なからずあったはずですので
誤解を恐れずに言うならば、そういった異常とも言えるほどの仕事量が岩田氏の寿命を縮めてしまった…。
そんな風にも感じられる対談でもありました。


いずれにせよ、簡単に後継が出るような人物ではないということが今回の対談で良くわかりました。
改めて、岩田氏が亡くなったことによるゲーム業界全体の損失は大きかったのだなと感じました。
本当に、早逝されてしまったのが残念です…。


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